我が國體 〜その二〜

さてこの平和な社会のだんだん發達する具合を見ると、一番初には、別に専門的の職業が各家々にあったものではなかったらしい。それがだんだん進んで来た時に於いて、その社会の成立、その國民生活に必要な精神的や物質的の分業が、自然に行はれて来たものであろう。そうしてその家々の名前は、最初は職業の名前を以て家の名称とすることに進んで行ったものである。中臣とか、齋部とか、或いは物部とかいふ名称は職業の名称であるが、それで一つの家の名前が出来ているのである。この場合に、それがまた國家的組織と一致しているのが、即ちまた我が國上古の氏族制度で、特殊な職業がなくて國家の最高地位を占められる家は、ただ一軒しかないのであるから、別に家の名称を呼ばぬ。従ってこれを作る必要がなく、ただ尊称だけを作ればよろしい。

今もお上とか、上様とか、陛下とか申し上げれば、天皇陛下の御事であろうに、大昔から我が皇室には、御家名というものがない。ただ親王や皇族の御方が別家をなされば、何の宮様と申すのみである。天皇陛下には「すめらみこと」即ち我々を統べていられる御方というような意味の尊称はあるが、それ以上に、特別に皇室として御名前を付して、こういう御家の誰という必要はないのである。主権者の家に名称をもっていない國は、世界中今日に於いてただ我が大日本皇国あるのみである。いかなる國でも、日本以外の國では皆主権者の家名がある。これは要するに、もと國民の一部であつた者が、後に勢力を得て主権者となったからである。日本の皇室はこのように、社会發達の最初から主権者として今日まで継続せられたことを、事実の上に於いて示すもので、実に世界に類例のない萬世一系を、この事実の上に証明しているのである。もし日本にいずれの時代に革命がおこなわれたものとすれば、現主権者には必ず家の名前がなければならぬはずである。以上の所説によって、皇室の天壤無窮なるべき天照大御神の神勅の、実に皇室にも國民にも國民的自覚を作るべき根源となっている根本義が了解せられるであろう。

我々がこの肇國の昔に遡って、祖先の偉業を回願する時に、我々は國民としての信仰に生きる。我々はその信仰を養成して行かねばならぬ。即ち歴代天皇は萬世一系を事実に於いて永久に傳へることに御努力あり、我々國民はその意味に於いて皇室を御助け申すことに於いて努力があり、ここに始めて日本民族として進んで来た意義が現れるのである。そうして前に述べた日本の最初に出来た家庭の成立に於ける親子及び夫婦の関係を推拡げたものが、この皇室と國民の関係となったので、一に歴代天皇が、義は君臣であるが親みは父子のような大御心で國民に君臨せられ、随って神武天皇から今日まで連綿として皇統を傳へられ、御一人の天皇も國民を虐げられた御方がおいでにならぬという美しい歴史となって現れているのである。

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